鬪雞神社創建1600年記念(2019年)

御創建について

社伝によると人皇十九代允恭天皇己未八年九月 (419) 熊野権現をこの地に勧請し、 田辺の宮と称し奉ったのが起源と伝わっています。

一方、本殿裏の仮庵山(かりほやま)には、神島よりいでし神光が御山を清き処と暫しとどまるにより仮庵山と呼ばれ、後に龍仙山 (現龍神山) に渡るという、 龍神の信仰があります。

また別の古文書には、 神代の昔に仮庵山に神光現れたのが縁起由緒であると伝え、 天武天皇御宇第十三甲申歳 (684) 六月下五日の 吉日に始めて祀るとあり、この時に十二殿を構え新熊野證誠十二所大権現と称したとあります。

古代より仮庵山が祭祀場又はご神体として信仰され、天武天皇の御代に新たに御社を建立し祀るなか、 神光 (龍神) は熊野権現との信仰へと整っていったと考えられます。

現在のような熊野神社として祀られていくのは、平安後期に16代別当長範 (1123~1141) が弟の湛快を熊野の入り口にあたる田辺に派遣し、この地方の参詣道や王子社などの整備をはじめ在地の支配を推し進め、白河上皇の御代(1087~1129)に熊野三所権現をこの地に勧請し、三山御参詣に替えるとの伝えもあり、在地の拠点として整備されてゆき、近衛院久安三年己 (1147) 湛快が18代別当に就くと新たに天照皇大神以下十一神を勧請し、新熊野権現と称し奉りました。

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