藤巌神社について

藤巌神社

鬪雞神社境内にある藤巌神社(とうがんじんじゃ)は、現在の田辺の基礎を作った安藤直次公をお祀りする神社です。安藤直次公は幼少期から徳川家康に近待し、姉川合戦、長篠合戦、長久手合戦などに従軍。のちに家康の側近として幕政に参画しました。
1610年、徳川頼宣(家康の第十子)の傳役となり、1619年に頼宣が紀伊に移ると、紀州徳川家附家老として田辺に移り3万8800石を治めました。屋敷城(のちの田辺城)の築城や城下町の整備を進め、商業や文化の発展に力を注ぎました。また、安藤公が梅の栽培を奨励したことが当地の梅栽培発展のきっかけとなりました。
鬪雞神社と安藤氏の関係
安藤家の第4代安藤直清(なおきよ)は、寛文元年(1661)に現在の本殿を再建したほか、本殿を再建したほか、その本殿の屋根の葺き替えなど整備に尽力しました。また鬪雞神社に伝わる麒麟の大絵馬は、第11代次猷(つぐのり)の奉納です。こうした安藤直次公、安藤直清公、安藤次猷公を含めた安藤家の功績と田辺の発展への貢献を称え、明治19年(1886年)に旧田辺藩士の有志により、鬪雞神社境内に藤巖神社が創建されました。直次を祭神とし、社名は直次の諡号(貴人などの死後、生前の行いを尊んで贈る名)「藤巖院」に由来します。

安藤直次公

藤巌神社アクセス 鬪雞神社境内内