460年以上の歴史をもつ紀南地方最大の祭礼
和歌山県指定文化財(無形民族文化財)にも指定されている田辺祭。田辺祭は闘鶏神社の例大祭で、7月24日・25日に行われる紀州三大祭の1つです。旧城下の商人町などから「お笠」と呼ばれる笠鉾八基と衣笠が出て市街を曳き廻す田辺地方で最も賑わう祭です。24日には潮垢離行事としての江川御旅所(現 漁協荷捌所)への御輿渡御、途中会津橋で笠鉾曳き揃えとの合流、笠鉾宮入などが行われます。25日には、早暁の本殿での暁の行事、笠鉾巡行、夜には二の鳥居前で狩衣に綾蘭笠の少年騎乗の三騎が行う流鏑馬も古風を留めます。
田辺祭の由来
紀州藩主浅野幸長(あさのよしなが)、田辺領主が浅野左衛門佐(さえもんのすけ)の時代であった慶長10年(1605)に、「権現宮祭礼町中改車」、慶長12年「流鏑馬三騎町より出」という記録があります。また、徳川頼宣(よりのぶ)が藩主になって徳川御三家が成立し、頼宣の附家老であった安藤帯刀直次(あんどうたてわきなおつぐ)の領知となってからの寛永10年(1633)には、一時、能の奉納となったようですが、寛文12年(1672)に袋町(福路町)の鉾の台が車となり、翌年の延宝元年には町中の台が車となったという記録があり、この頃には現在の笠鉾の原形ができあがったようです。「紀州三大祭」の一つ (和歌祭・粉河祭)です。